結婚願望がないです

こんばんは。kbeniです。

 

 

突然ですが、私には結婚願望がありません。

テレビなどで「結婚願望はあるんですか?」と聞かれた芸能人は大抵「あります」と答えていて、いつも疑問に思っています。

 

孤独死を怖いとは漠然と思いますが、孤独死を免れる以外に、結婚をする利点がわからないんですよね…。

 

私は子どもはそんなに好きじゃないし、ほしくもないです。

もし子供ができたらかわいいと思えるようになるのかなとも思うけれど、そんな不確かな状態で子供を作りたくない…。

あと、自分以外の人生にまで責任を持てる自信がないです。

 

他人と同じ空間で暮らすのって疲れそうだなとも思います。

私は一人の時間が好きなので。

だったらプライベートを大事にする人と結婚すればいいのではとよく言われますが、それなら結婚する意味がないような気がしてしまいます。

わざわざ結婚するならちゃんと時間を共有したいけど、私は他人と時間を共有したくない(=結婚したくない)。

 

 

まぁ、1対1で愛し合う関係ができると考えれば確かに魅力的ではあるのですが…。

 

でも本当に一生一人だけを愛し続けるとかあり得るのかな…、創作の中だけの話じゃないのかな。と思ってしまう。

別に愛を与えられなかったとかそういうことはないんですけどね。

 

もし本当に愛し合えたとしても、それはそれで怖いなと思います。

私は、自分は依存しやすい性格を秘めていると思っているので、相手に依存して束縛してしまうことを危惧しています。

依存してしまうと相手に過度な期待をしてしまって、結局互いに疲れるんですよね…。

依存するのが怖い。(そんなこと言っているうちは多分深く愛することはできない。)

 

 

あぁでも、少子高齢化を食い止めるためには結婚しなくちゃいけないのかもしれないですね。

実際、私は高校くらいまで、少子高齢化を食い止めるために最低2人くらいは生まなきゃいけないんだろうなと思っていました。

途中で、なんで国のためにしたくもない結婚をしなくちゃいけないんだと思うようになってしまいましたが。

国の今後を考えれば結婚するべきなのか…。別に国のために生きているわけではないんだけど。

でも生かされている恩返しをするべきなのかな?(?)

 

個人的に少子高齢化よりも大きな「結婚しないことの欠点」は、親に孫の顔を見せられないことです。

それは本当に申し訳ないなと思います。

多分孫ができたらすごくかわいがってくれるだろうに。こんなひねくれた私よりももっとまっすぐな愛情を注いでくれそう。

(少し卑屈になりました。すみません。)

これは一生心のどこかに引っかかることになりそうだな…。

 

 

色々書いてきましたが、私はそもそも恋愛経験がないので結婚以前の問題です(笑)。

恋愛感情をまだ抱いたことがないんですよね…。

みんなは彼氏彼女がいないことに劣等感を抱いていますが、私は恋愛感情がわからないことに劣等感を抱いています。

かと言って無理に理解するのも癪。

 

前述のように私は自分の時間を大事にしたいのですが、特に恋愛の場合は、プライベートを大事にして付き合うなら友達のままでよくない? と思ってしまいます。

友達なら何人作っても怒られないし、友達のままの方がメリットが大きいような気が。

 

ギャップ萌えとかはするので、恋愛感情が存在しないわけではないと思うんですけどね。

恋愛が嫌いなわけでもないです。

自分でもオリジナルキャラの恋愛とか考えたりします。(すべて妄想になってしまっていますが。)

 

 

散々自分の結婚や恋愛を否定してきましたが、こういうことを言っている人の方が、なんだかんだで結婚したりはしそうですよね(笑)。

人生は何が起こるかわからないし。

何年か後にこれを見直したら色々とツッコみたくなるかもしれないです。それはそれで面白そう。

描きたい絵がわからない

こんばんは。

すっかり、夜遅くに投稿する癖ができつつありますね。あまりよくないなぁ。

kbeniです。

 

 

早速ですが、自分のやりたいことをやるって難しくないですか?

もちろん、好きなことだけじゃ生活できないとかそういう意味での難しさもあるのですが、もっと根本的な問題として、自分のやりたいことがわからないんです。

 

私事ですが、今日Twitterで、絵を投稿するアカウントを削除しました。

(以前の記事でTwitterで絵を投稿する予定はないなんて言っていたけど、本当は連携していないアカウントですでに投稿していました。)

別に誰かに嫌なことを言われたとかトラブルがあったとかではないです。

描きたい絵がわからなくなったからです。

 

 

正直、不特定多数が見られる場所に絵を投稿する以上、評価は欲しいです。

自分の作品の一番のファンは自分だ、なんて言うけれど、それで納得できるなら投稿していません。

 

まぁ絵垢の使い方などを調べれば、評価を得やすい絵の特徴やアカウントの運営方法などはすぐに出てきます。

絵を投稿して評価が得たいのならば、それらのやり方を順守すればいいのです。

 

ただ一方で、私は天邪鬼なので、いいねのための絵を描きたくない、流行りに乗りたくないとも考えてしまいます。

あくまで自分らしい絵柄で、自分の描きたいものを描く。そしてそれが評価される。

…なんて流れを期待します。

 

でも、自分らしい絵柄も、自分の描きたいものもわからない。

そのくせ他人の目を気にしてしまって、何のために絵を描いているのかわからなくなる。

何とか浮上するために自分では納得いかない出来のものを投稿したりして、ひたすら虚しくなっていました。

全部自分の問題で、他の誰も悪くないのですが。

 

 

「これからは自由に投稿しよう」と考え直すのは、自分の中で「Twitter上の私のキャラ」が何となく固定されていたので難しいなと感じていました。

そもそも苦しくて面倒になって放置していたし、いっそ消してしまった方が楽になると思ってアカウントを削除しました。

…なんて、ここで言い訳しても仕方ないですね。

 

 

自分の描きたいものがわからない、というのは、多分描きたいものがないわけではないんです。

年に何度かは本当にのめり込んで描く絵があるし、誰かに見せようとしていないイラストは描いていてワクワクします。

多分これが本当に描きたいものということだと思いますが、描いている途中でそれに気づくので、「何が描きたいのか」と言われるとわからないんですよね。

あとそもそも、誰かに見せる用事などを作らないと書き始めるのが面倒だったり…、でも誰かに見せようとすると描きたいものを描けない(どうしようもない)。

 

 

正直に言うと、私はこのブログでも同じことが起こることを危惧しています。

絵を投稿するアカウントで苦しくなり始めたのは多分1か月くらいしてからだったと思うので、まだわからないです。

読者が増えてきたとき、私はそれでも自分の書きたいものを見出して自分に正直に書くことができるのか。

読者が増えなかったとき、それでもちゃんと書く意義を見出して書き続けることができるのか。

まだわかりませんが、どこかで心が乱れるときは来るだろうなと思っています。

 

一応、なるべく正直にブログを書くことで、「自分の思う自分像」と「読者の思う自分像」に齟齬が生まれないように気を付けてはいるのですが。

絵垢ではそういう悩みを吐き出す「キャラ」ではなくて、ただ黙ってフェードアウトしてしまったので。

だから心が乱れたときは、その旨をブログに書ければ乗り越えられるはず…、多分…。

 

もう、この件に関しては自分に対する信頼が限りなく0に近いんですよね。

そろそろ自分からの信用を取り戻したい。

 

頑張るぞ。(とか言うから苦しくなる。)

 

 

(余談:絵を投稿するアカウントを削除したので、気が向いたときはブログと連携しているTwitterアカウントに絵を投稿しようかなと思っています。多分投稿したとしても年に数回レベルになると思いますが。まだアイコンも描いてないし…。)

インターネットは情報量が多いとよく言うけれど、すべての情報があるとは確かに言っていない

こんばんは。kbeniです。(もはやお決まりの挨拶)

 

昨日は本当に挨拶だけになってしまいましたね…。

多分2日連続で挨拶だけになったら休み癖がつくので、今日はしっかり書きます。

 

 

近頃は、ネットで情報を検索して調べるのが当たり前になりつつあると思います。

まぁ昔のことはよく知らないけれど。

 

私も、情報源はもっぱらネットとなっています。

気になることがあればとりあえず検索するし、論文なども図書館に行くのではなくネットで調べてしまいます。

(論文に関しては、本当は図書館に行くべきなのだろうけどそこはまぁ…。)

 

 

しかし、最近ネットの情報もすべてではないんだなと感じることがありました。

 

 

マツコ&有吉かりそめ天国という番組で、「アポロパン」というパンの捜索? が行われたのをご存じでしょうか。

有吉さんが小さいころに食べていたという「アポロパン」が本当に存在していたのかを調べた企画です。

マツコ&有吉 かりそめ天国|テレビ朝日

 

この「アポロパン」、ネットで検索しても手掛かりはなく、有吉さんの記憶違いだという説も多く出てきたそうです。

そんなものをどうやって捜索したのかというと、芸人の飯尾さんが有吉さんの地元で聞き込み調査などしていました。

聞き込み調査をしてもほとんど情報が出てこない中、数少ない証言から「アポロパン」を制作していた会社までたどり着きます。

そして後に、「スペースアポロ」という名前でまさかの復刻まで果たしたのです。

 

ちなみに「スペースアポロ」に関して、Twitterで「#スペースアポロチャレンジ」というタグがあるらしいですね。

売り切れが続出しているみたいです。

私はまだ食べたことがありませんが、もし機会があれば食べてみたいです。

確か期間限定だったかな…?

人気によっては限定ではなく作り続ける、という感じのことを番組内で言っていたような言っていなかったような…。

 

 

さて、この企画で、私が衝撃を受けたのは、ネットにない情報がまだあるんだということです。

まぁ、ある一つのツイートが手掛かりになっていたと思うので、全くネットに情報がないと言うのは語弊があるかもしれませんが。

 

学校などで、各メディアの利点と欠点などを習う機会があります。

そこでは、ネットの利点はたくさんの情報があること、欠点は正しさが保証されていないこと、と習います。

だから、ネットにない情報があるということが驚きだったのです。

 

しかも、一応現地調査をして数人に聞き込みをしたけれど情報は出てこない。

私だったら、ここで「やっぱり記憶違いか」、「ネットで検索しても出てこないし地元の人も知らないし、つまり存在しないんだな」と結論付けてしまうと思います。

でも本当は「アポロパン」は存在していたし、数は少なくても「アポロパン」を知る人も確かにいた。

 

自分の思考がいかに単純化されていたかを思い知らされました。

ネットで検索しても出てこないというだけで存在しないと結論付けてはいけない、とはうっすらとなら考えられると思いますが、「地元の人だけ知っている」と仮説を立てて、その仮説が否定されそうなら多分諦めると思います。

その仮説の検証をとことんやって明らかに正しい結論を導いたり、その仮説以外の仮説を考えたりをしようとしなかったと思うんです。

 

結局、「きっと存在しないんだろうな」という思考に引っ張られて、現実をしっかりと見ようとしないということだと思います。

そして、その「きっと存在しないんだろうな」という思考は、「ネットには十分な情報量がある」という思い込みからきているように感じます。

(このように、つい自分の考えに都合のいい情報ばかり集めてしまうことを「確証バイアス」と言います。)

 

 

その他にもネットで情報が出ない例として、大学などの授業内容はネットで検索してもわからなかったりします。

教授の研究内容が出てきたりもしますし。頑張って論文などを検索しまくれば授業内容と同じことが得られるのかもしれませんが、結構大変だと思います。

高校までは教科書の解説などがネットに溢れているから、ネットにはあらゆる情報が存在すると錯覚します。

でも実際は、特に需要が少ない情報はネットにもないんですよね。それか、あったとしても検索が難しい。

私も最初は戸惑いました。教授が何か間違っているのではないかと疑いさえしたと思います。

 

 

ネットに多くの情報があるのは事実だけれど、それはすべてではない。

ならネットに存在しない(検索しても出てこない)情報をどのようにして手に入れるかと言ったら、本を調べるという方法もあるとは思いますが、多分確かなのは人に聞くことのように思います。

特に、例えば「アポロパン」なら有吉さんがかつて買っていた場所、大学の授業に関しては教授など、情報を聞くべき相手がある程度わかっているならその人に聞くのがいいですよね。

(そういう意味ではやっぱりまずは「アポロパン」について有吉さんに詳しく聞くべきだったのではと思うけれども。)

 

正直に言って、私は人に質問するのが苦手です。

できることならネットで全て済ませたい。それか本でもいい。

人には聞きたくないのが本音です。

 

でも、それでは何とかならない場合があるのを知りました。

よく「気づきにくいけれどネットは世界に大きく開けた場所だよ」と聞く気がしますが、むしろ「ネットはあらゆることに開けた場所に見えるが、実際はそこまで有能なものでもない」と言うのが正しいのではという気がしてきます。

 

それでも私はこれからもネットを使い続けるのだろうけれど。

人の口からの情報をもっと重視してみてもいいのかなと思った出来事でした。

やり始めるためのやる気が出ない

こんばんは。kbeniです。

今回も日付が回ってしまいましたね~。

 

正直今回はあまり校正などできず飛躍も多い気がしますが、ご了承ください。

今度からもう少しテーマを絞ります。

 

 

さて、誰得な報告になりますが、私は期間限定で特定のものにやる気が出やすいです。

 

今は食事と、タイピング練習と、アイコン作成にやる気が出ています。

でも、こんな時間に欲望に任せて食べるわけにもいかないし、タイピングは短時間で速くなるものでもないし、アイコン作成はまだまだ時間がかかるからやり始めたらきりがないし…、ということで、どれも今やるべきことではない。

一応、「やりたいときにやることをやる」は私のポリシーなのでそれに従ってもいいのですが…、あまり好ましくはないかなぁと思っています。

 

ちなみに、そもそもなんでやる気に波があるのかと言ったら、やっぱりホルモンバランスなのではないかと思っています。

ポジティブで調子がいい時期とネガティブで体調も悪いときが、おおよそ1週間くらいの周期でやってくるんですよね…。

それに伴って、意欲が湧く対象もおおよそ1週間ほどで変わってしまうんです。

まぁ基本的に生理とかも重い方ではないので、そこまで生活に支障をきたすこともなければ、薬など服用したりすることもほぼないですが。

だからこそ、自分で周期を把握して何とか計画を立てたりしなければならない…。

 

 

という話はさておき。

やりたいことをやるのはいいけれど、やるべきことが終わらないのはまずいと常々思っています。

(最初の方の記事でも書いたかな。)

やる気を出す方法をしばしば模索はするのですが、なかなかうまくいかないんですよね~。

 

正直に言って、やる気を出す最良の方法はやり始めることだと思っています。

それはよく言われていることだし、私も実感としてあります。

ただ、そのやり始めるためのやる気が出ないんだよ…、とも思うんですよね。

少々屁理屈っぽいですが。

 

 

ということで(?)、私なりの「やり始めるためのやる気を出す方法」を挙げたいと思います。

今回はもう遅いしまだ考えもまとまっていないので簡単に済ませますが、いつかちゃんとまとめたいな。

 

 

まず、「欲を満たす」という方法があります。

私の場合、気持ちがうまく発散されず、モヤモヤしてやるべきことも始められないということが多いです。

簡単なことで収まりそうなら、そのモヤモヤを先に発散してしまった方が作業効率が上がります。

実は、私のポリシーである「やりたいときにやる」というのはこれがもとです。

 

個人的にはこの「欲を満たす」という方法がかなり大きいのですが、一応他にも方法はあります。

 

例えば、テンポの速い曲や、気分を上げる曲を聴く。

目的としては「欲を満たす」と似ていて、とりあえず前向きになるように仕向けます。

無駄な時間などがないのは長所ですが、曲をかけ始めるのを面倒くさがってしまうのが短所です。

 

あと意外と効果があるのは、10秒数えること。

その10秒間は、「10秒数えたらやること始める」と軽く念じながら、適当にスマホのホーム画面をスクロールでもしています。

10秒が長ければ多分5秒でもいけます。

ただ、効果はあるのですが、今度は10秒数え始めるきっかけが必要になるというのが難点…。(←ダメ人間)

 

 

他にもあるとは思うのですが、パッと思い付くのはこの辺りです。

今回はここで終わりにします。

 

 

余談ですが、最近アイコンにできそうな絵を作成しているので、そろそろデフォルトから卒業できるかもしれないです。

まぁそろそろと言ってもいつになるかはわかりませんが…。

なるべく早く仕上げたいとは思っています。

「悲しい」って思ったことないかもしれない

こんにちは。kbeniです。
今日はかなり早めに書けました。偉いぞ私。


今日はふと気づいたことがあるので、そのことについて書こうと思います。


私、「悲しい」と思ったことがないかもしれない。

なぜこの考えに至ったのかは覚えていませんが、思い返してみると悲しい気持ちになった経験を思い出せないんです…。


類似の感情として、「寂しい」は何度も感じています。
周りから人がいなくなったら寂しいし、友達が帰ったあとの自分の部屋はやけに広くて寂しいです。

でも、「悲しい」は「寂しい」よりも激しくて大きいものというイメージがあります。
それに、「悲しい」は目の前のこと、「寂しい」は過ぎたことに対しての感情というイメージもあります。
あくまで私の勝手なイメージですが、全く違う感情に思えるのです。


一般的に「悲しい」と思うべき状況にはしばしば陥っているはずですが、そういうときは「どうしたらいいんだろう」という気持ちの方が大きくなります。

近しい人の死を経験したことがないからかもしれませんが、「死」についても実感がなくて悲しいとまでなかなか思えません。


もらい泣きなどはするんですけどね。
でもそれも、相手が泣いているから泣くだけで、悲しいと思って泣いているのかはわからないです…。


さすがに一度も悲しんだことがないなんてあり得ないだろう。
と思ったので、さらによくよく思い返したら、子供の頃からかわれて泣いたことはありました。
あれは端的にいってしまえば「嫌だ」という感情だけど、悲しさも含まれていたかもしれません。

あと、お願いを断られたときや共感されなかったときの感情も「悲しい」に似てるかも。
かなり軽い「悲しい」ですけどね。「あら残念」程度の。

そのくらいかな…。


多分感情が基本的に薄いだけだろうな~とは思ってます。

(関係ないけど、途中で公開してしまってめちゃくちゃ焦った。)

自分がHSPなのか勝手に診断してみた

こんばんは。kbeniです。

 

今日は、自分がHSPに当てはまるのか、勝手に自己診断しました。自己満足です。

実際の診断を受けたわけではないので、信ぴょう性は薄いと思いますが、ただの独り言としてお付き合いいただければ幸いです。

 

 

HSPとは

HSPとは、ウィキペディアの説明によれば、「高度な感覚処理感受性を、気質(生得的な特性)として持つ人のこと」です。

特徴としては考え込みやすい、五感などが敏感で疲れやすい、共感しやすい、ちょっとした変化に気づきやすいといったものがあるそうです。

5人に1人くらいはHSPで、特に日本人では割合が高いと言います。

ちなみに病気ではなく個性です。

 

勝手に自己判断結果

HSPかもしれないけど多分低度」

以下、各項目ごとに自分に当てはまっているか記載します。

 

考え込みやすい

特徴のうち、「考え込みやすい」という点に関してはかなり当てはまっていると思っています。良くも悪くもいろんなことを深く考え込む癖があるので。

また、私は行動までに時間がかかったり(最近は一応直そうとしているのですが)、哲学的なことに興味があったりするなどしますが、これらもHSPの特徴だそうです。

 

五感などが敏感で疲れやすい

五感が過敏であると悩んだことは特にないです。

ただ、改めて考えたらスマホやパソコンの画面の明るさは基本的に最小にしているし、うるさい掃除機の音も苦手だし、部分的に当てはまっているかもしれないです。

映画館は平気なので、正直五感の敏感さに関しては判断しかねますね…。

 

疲れやすさについて、どんなに楽しいことでも終わると疲れるという特徴がHSPの方にはあるそうです。

当たり前のようにも思えますが、気分が特に急に落ち込みやすいということなら、確かに急降下します。

文化祭など全力で取り組むものは、終わった後1・2週間くらい鬱っぽくなったりします。

刺激に疲れやすいというよりは燃え尽きやすいだけかと思っていたのですが、HSPの特徴と考えることもできるのかもしれないです。

 

共感しやすい

よく言われるのが「他人が怒られているのを見ると自分が怒られているように感じる」というものですが、これは私は全くないです。

もらい泣きはしますが、せいぜいその程度ですね。

 

あとは、応援していた人やキャラが暗くなっていると気分が沈んだりはします。

これは共感のうちに入るのだろうか。

 

相手の気持ちに気づきやすいというのもHSPの特徴らしいのですが、これはあるかもしれないです。

表情や口調、声の調子などから、特にネガティブな感情を無意識に察知することはあります。

(それが合っているのか本人に確認するわけではないので、本当に察知できているのかはわかりませんが。)

でもこれは共感ではないと思っています。相手の気持ちが自分の中に入ってくることはないので。

 

まとめると、この項目は私にはあまり当てはまらないです。

 

ちょっとした変化に気づきやすい

正確には、ウィキペディアには「些細な刺激に対する感受性」と書いてあります。

前述の、相手の様子を見て感情を推測するというのはこっちの項目に含まれるような気もしますね。

 

この項目のキーワードとして第六感がありますが、第六感は、私は当たらないです。

というか、第六感に思考を介入させないのが下手なので正直わからないです…。

 

強いて言えば、中学のころ、相手の血液型を当てるのが比較的得意でした。

一般に言われている「A型は真面目」とかを参考にするのではなく、何となくその人の後ろにある空気感みたいなものを感じて当てます。

(ちなみに、その人の血液型だけでなく、「あなたは何型と何型の子供で、あなた自身は何型ですね」という感じで当てていました。)

まぁ、当てなきゃというプレッシャーで嫌になったのでやめてしまったのですが。今はできなくなっているだろうなぁ。

今思えばもしかしたらHSPの特性だったのかもなんて思ったりします。

 

しかし、他人の髪型の変化などには気づきません。

ロングの人がショートにしたのに気づかなかったことでさえあります…。

 

このように、この項目に関しては、自分によく当てはまる点と全く当てはまらない点が両方存在します。

 

まとめ

自分の特徴をHSPのそれぞれの特徴に当てはめられないことはなかったです。

しかし、HSPだと断言はしにくいかなと思います。

一方で、特に「考え込みやすい」という項目に関してはかなり当てはまっている点も複数あると感じたので、HSPではないと言うこともできないと思います。

 

よって、結論としては最初に挙げたように「HSPかもしれないけど多分低度」ということにします。

 

おわりに

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

ぼんやりとした結論になってしまいましたが、まぁ個人で診断(もどき)をすると、この程度の結論が限界かなと思います。

 

正確な診断をするためにはちゃんと受診する必要がありますが、私はそこまでしなくてもいいと思っています。

 

HSPについてはテレビ番組で詳しく知ったのですが、自分と同じ悩みが次々に紹介されて、それらが異常なことではないと知って、だいぶ心が楽になったのを覚えています。

正確な診断がなくてもHSPの可能性が出たというだけで対処の仕方も調べやすくなったし、気持ちも楽になったのでそれでいいかな~と。

 

むしろ、「あなたはHSPです」と断言されてしまった方が、私の場合はそれにとらわれて辛くなりそうな気もする。

強く思い込みすぎるところがあるので…。HSPという分類(ではないけど)を強く感じすぎてしまう気がするんです。

 

HSPの可能性もある、あくまで一人の人として、これからも生きていきます。

(まとめが下手で申し訳ない。)